みちのくの薫風に誘われて 青森旅 Day1

関東では新緑眩しくなり、家のベランダで育てているカモミールには花がつき始めた5月の下旬。2枚のきっぷを握り締め、私は大宮駅から東北新幹線、はやぶさ1号の客となった。

E5系のロゴマーク 列車名にもなる隼を模す


この旅の目的地は陸奥の国の最奥部、青森。

放浪でない限り、どんな旅にも大概は理由が付きものだが、今回も例外ではない。

事の起こりは数ヶ月前にも遡る。

日々の朝食にと買ったタカセのパンを携え、雑多な池袋の地下街を徘徊していた所、JRの株主優待券が投げ売られているのを見てつい衝動買いをしてしまったのだ。

それから暫く旅に出るタイミングがなく、優待券は持て余していたのだが、使用期限も迫った今、ようやくそれを消化するに至る。

47都道府県の全制覇を目論見て私は旅をしているのだが、東北には未踏の地がまだひとつだけあった。

そここそが青森県だ。

いや、正確には列車で通り過ぎたり、新幹線と特急列車を乗り継ぐ為に僅かにその土は踏んだのだが、そこを目的地とした旅は経験したことがなかったのである。

未知の土地への旅はいつでも期待を膨らませるエネルギー。

だから、岩手や宮城といった魅力ある各地を放り出し、素通りしてでもそこへ出向きたかったのだ。

朝食を喫して小さな窓の向こうに目を遣ると、あっという間に那須連山が姿を現す。

ボコっとした瘤のような茶臼岳が気になり手元で調べているうちに、またあっという間に安達太良山や磐梯山といった南東北の山々に、その車窓は変化を見せる。

ひと月半ほど前に同地を通った際、乗ったのは東北本線の普通列車だった。

あの時見た那須連山はもっと長く延々と続くように感じたが、はやぶさ号の320km/hというスピードは往々にして山のスケールすらもひどく圧縮してしまうようだ。

座席に隙間なく詰め込まれたビジネスマンを仙台で吐き出し、日本で一番長大な鉄道橋で、3868mを誇る“第一北上川橋梁”をも猛烈なスピードで邁進すると、まもなく盛岡駅に到着。

雫石川と秋田駒ヶ岳を望む


途中空模様がぐずついたのは福島辺りだったか。ここまで概ね天候にも恵まれ、出だし好調と言えるだろう。

列車の前よりにつけていた秋田行のこまち号をここで分割して送り出すと、暫くは山がちでトンネルも多く車窓は余り望めない。
そのため僅かに残ったコーヒーを惜しみつつも流し込み、列車と共に流れる時間を読書へと費やした。

暗闇の合間合間で時折見せる車窓の風景は、既にみちのくの香りを漂わせる農村の姿となりつつある。

愛読書の章をひとつ読み終えるうちに、列車は二戸、八戸、七戸十和田と止まる。

そのうちに下車駅である新青森駅へ滑り込むと、間もなく扉は開き、東京とはまったく違う冷涼な青森の風がデッキに吹き込んだ。

駅では名物のねぶた祭具や、至近の三内丸山遺跡を想わせる土偶の展示に迎えられ、いよいよ東北最後のピースを埋めた実感を湧き立たせてくれる。

翌日は新青森の駅前で車を借りる予定であるから、初日はあまり離れた場所へは行かないつもりで来た。なので手始めに駅からも近い、三内丸山遺跡を目指した。

しかし、惜しくもバスの時間も噛み合わず、新幹線駅の割に物寂しい駅周辺から蛙の合唱を聞きながら、2キロ歩くことになってしまった。

ひとまず景気づけとして、駅から遺跡までの間にある“さんない温泉”に立ち寄る。

硫黄臭が仄かに漂うさんない温泉


昭和50年代の香りを濃く残す浴場、地元民達は思い思いに湯に浸かり身を休める。あるいは床に横たわっては鼻ちょうちんを膨らませるなどしていた。

私も軽く身体を清めて湯に浸かると、乳白色の塩化物泉が3時間座り続けて淀んだ血液をじわりと温めてくれ、都会生活で生じた不健康もろとも癒してくれたようだ。

さんない温泉を後にして再び歩みを進める。

火照った身体も風を受けてととのった所で私を出迎えた三内丸山遺跡。ボランティアガイド率いる一行が先を行くのが見え、急いでそちらについて行くと、これが後々展示品を観覧する際に大きく役立った。

ガイドは縄文時代の様子を再現した住居や墓地、数多くの遺物が出土した池などを冗談交じりかつ手馴れた様子で次々と案内して行く。

我々の生きる現代より3℃ほど平均気温が高かった縄文時代。海面はもっと高く、海はより拡がっていた。

遺跡のあるこの場所はかつて海が迫っていて、海の幸山の幸共に豊かだったようだ。
船が行き来するのにも適しているから、北海道の黒曜石や糸魚川の翡翠も交易を通じて入手可能。

ガイドの解説からも、館内の展示からも、当時の面影がはっきりと伝わってきた。

14mもある大型掘立柱建物


常設展示では縄文人の文化的な営みが垣間見えるアクセサリー類や、調理の際につくコゲの痕が生活感を醸す土器といった品々。
特別展示で見られたのは川崎市の金山神社で開催される、かなまら祭りといった奇祭にも通ずる奇々怪々な祭具の数々。

これらの多くは至近にある件の池で、分解者による風化から守られ、縄文時代より形を保ってきた。
まるで池の水は箱舟のように、出土品達はタイムトラベラーのように、時空を超越して。

時計を見ればもうまもなく、青森駅行きのバスが出る時間ではないか。

新幹線の車内にいた頃、かつて本州と北海道を結んだ青函連絡船のメモリアルパークも立ち寄れるかと期待を膨らませていた私だが、気付けばすっかり悠久の歴史がもたらすミステリーに囚われてしまっていた。

バスは国道7号を駆け、この日の宿がある青森駅前へと私を乗せて連れて行く。

新町通り商店街の路地に見つけた、番犬ならぬ番猫が店先に立つ居酒屋で盃を傾け、青森最初の晩を過ごした。

果実のような風味すら持ち合わせる丸焼きのにんにくと、北国らしい生姜味噌のおでんでよく酒が進んだ。

明日は陸奥湾の恵みと本州の北の果ての地、そして霊場恐山を求め下北半島を目指そうか。

沈みゆく夕陽と青函連絡船“八甲田丸”




つづく











コメント

このブログの人気の投稿

”インターネット”デトックス生活に挑戦してみる 4週間(1ヶ月)終えての状況

デジタルデトックス生活に挑戦してみる

デジタルデトックス生活に挑戦してみる 1週間終えての状況